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頑張っているのに虚しいのはなぜ?|本当に自分らしく生きるということ

8月9日
読了時間: 7分

「こんなに頑張っているのに、なぜか満たされない」


そんな感覚を抱えたことはありませんか。


仕事もしている。努力もしている。以前より収入も増えた。

少しずつ自由にも近づいている。

むしろ、ずっと望んでいた暮らしに近づいているはずなのに。

ふと立ち止まった瞬間、

「このままで、本当にいいんだろうか」

そんな言葉にならない虚しさが、胸をよぎる。


もし今、そんな感覚があるのなら。

それは、あなたの努力が足りないからではないのかもしれません。

むしろ、真面目に生きてきた人ほど、人生のどこかでこの感覚に出会うことがあります。


「もっと頑張れば、満たされる」と思っていた

私たちは、何かが足りないと感じると、

「もっと頑張らなければ」

と思いがちです。

もっと仕事を頑張る。もっとお金を稼ぐ。もっと勉強する。もっと人から認められる自分になる。

そうすれば、いつか安心できる。

いつか満たされる。

そう信じて、一生懸命に前へ進んでいきます。

もちろん、努力することそのものが悪いわけではありません。

自分の人生を立て直すために、頑張る時期もあります。

傷ついた経験があれば、自分を守るために強くなることも必要です。


でも、いつの間にか、

「生きたいから頑張る」のではなく、「傷つきたくないから頑張る」

という状態になっていることがあります。

ここには、大きな違いがあります。


「生きる」より「防衛する」ことが中心になっていないか

たとえば、

失敗したくない。

嫌われたくない。

誰かに迷惑をかけたくない。

期待を裏切りたくない。

お金に困りたくない。

もう二度と傷つきたくない。

そうやって自分を守ることを優先しているうちに、人生の基準が少しずつ変わっていくことがあります。

「何がしたいか」より、

「何をすれば失敗しないか」。

「何が好きか」より、

「何を選べば人に認めてもらえるか」。

「どう生きたいか」より、

「どうすれば安全なのか」。


もちろん、それも生きていくためには必要なことです。

でも、防衛することが長く続くと、心の奥にある小さな声が聞こえにくくなっていきます。


本当は、何を望んでいるのだろう

そんなときに、一度立ち止まってみてほしいのです。

「私は、本当はどうしたいんだろう?」

と。


すぐに答えが出なくても大丈夫です。

むしろ、

「分からない」

ということも、珍しいことではありません。

ずっと周りの期待に応えながら生きてきた人ほど、自分が何を望んでいるのか分からなくなっていることがあります。

「そんなことを望んではいけない」

「もっと現実的にならなければ」

「そんなことをして何になるの?」

そんなふうに、自分の願いを打ち消してきたからです。

でも、願いがなくなったわけではありません。

ただ、心の奥深くにしまわれているだけなのかもしれません。


「好き」「やってみたい」は、とても小さな声でやってくる

本当に自分が望んでいることは、いつも大きな夢として現れるとは限りません。

「これ、ちょっと好きかも」

「なんとなく、こっちが気になる」

「本当はやってみたかった」

「なぜか、これに惹かれる」

そんな、とても小さな感覚として現れることがあります。

でも私たちは、そういう小さな声よりも、

「正しいかどうか」

「役に立つかどうか」

「成功するかどうか」

を優先してしまいがちです。

だからこそ、自分の内側にある小さな「好き」を、もう一度拾い直してみる。

それは、自分自身とのつながりを取り戻すことでもあるのだと思います。


大きな欲を、怖がらなくてもいい

そして、ときには自分の中にある「大きな欲」に気づくこともあります。

もっと自由に生きたい。

もっと愛したい。

もっと自分らしくありたい。

もっと好きなことをしたい。

もっと、この人生を思い切り生きたい。

そんな願いです。


「そんなことを望むなんて、欲張りなのでは?」

と思うかもしれません。

でも、その願いを持つこと自体は、悪いことではありません。


むしろ、自分の人生を生きようとするときには、

「私は本当は何を望んでいるのか」

を知ることが、とても大切なのだと思います。


願いを叶えるかどうかを決めるのは、その後でいい。

まずは、

「私は、本当はこれが欲しかったんだ」

と認めてあげる。

そこから何かが変わり始めることがあります。


「このままでいいのかな」という感覚は、悪いものではない

人生の途中で、

「このままでいいのかな」

と感じることがあります。

それは、今までの人生が間違っていたということではありません。

これまで頑張ってきた自分を否定する必要もありません。


ただ、

「これまでの生き方」と「これからの生き方」が、少しずつ変わろうとしている。

そんなタイミングなのかもしれません。


人はずっと同じ価値観のまま生きるわけではありません。

今まで必要だったものが、これからは必要なくなることもある。

これまで自分を守ってくれた考え方を、少しずつ手放す時期が来ることもあります。

その変化の入口に立ったとき、

「何かが違う」

「なぜか虚しい」

「もっと違う生き方がある気がする」

という感覚が現れることがあります。


QHHTのセッションで出会う「本当の自分」

私がQHHTのセッションをしていると、こうした「本当はどう生きたいのか」という問いに出会うことがあります。

催眠の中で、その方自身の深い意識から出てくるものは、必ずしも「もっと頑張りなさい」という答えではありません。

むしろ、

「本当は何をしたかったの?」

「何を怖れていたの?」

「なぜ、そんなに頑張ってきたの?」

「これから、どう生きたい?」

そんな問いに対する、その人自身の答えが浮かび上がってくることがあります。


普段の頭で考えている自分では気づかなかったことが、思いがけない形で現れることもあります。

それは、映像かもしれません。

言葉かもしれません。

感情や身体感覚かもしれません。

あるいは、ひとつの物語のような体験として現れることもあります。

QHHTでは、そうした内側から浮かんでくるものを手がかりにしながら、ご自身の深い意識と対話していきます。


答えを外からもらうのではなく、自分の中にあるものを思い出す

QHHTは、誰かに人生の正解を決めてもらうためのものではありません。

「こうしなさい」

「これがあなたの使命です」

と、外側から答えを与えてもらうためのものでもありません。

むしろ、

自分の中にすでにあるものを、思い出していく。

そんな時間なのだと、私は感じています。

だから、セッションで出てきた答えが、必ずしもその場ですぐ人生を変えるとは限りません。

後になって録音を聴き返したときに、

「ああ、あのとき言っていたのは、こういうことだったんだ」

と気づくこともあります。

そして、その小さな気づきが、日々の選択を少しずつ変えていくことがあります。


人生は「守るもの」から「生きるもの」へ

もし今、

「頑張っているのに、なぜか虚しい」

と感じているのなら。

もっと頑張る必要があるのではなく、

一度立ち止まる時期なのかもしれません。


「私は、本当は何を望んでいるんだろう」

「何をしているとき、私は自分らしいと感じるんだろう」

「もし何も恐れなくていいとしたら、どんな人生を生きたいだろう」

そんな問いを、自分自身に投げかけてみてください。


すぐに答えが出なくても大丈夫です。

小さな「好き」でもいい。

ふと心が動いたことでもいい。

理由は説明できないけれど、なぜか気になることでもいい。


そこには、あなた自身もまだ気づいていない何かが眠っているのかもしれません。


人生は、傷つかないように守るためだけにあるものではありません。

せっかくこの世界に生まれてきたのなら、

「どうすれば傷つかないか」だけではなく、

「私は、どう生きたいのか」

にも目を向けてみたい。

その問いに向き合い始めたとき、

人生は少しずつ、

「守るもの」から「生きるもの」へと、

姿を変えていくのかもしれません。


そしてQHHTは、その「本当はどう生きたいのか」という問いを、ご自身の深い意識とともに探っていく時間でもあります。


もし今、あなたの中にも

「このままでいいのかな」

という小さな感覚があるのなら。

その声を、すぐに消してしまわなくてもいいのかもしれません。

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