あなたを取り込むことで、私は私に出会う
「この人を、自分の中に取り込んでしまいたい」
私は、ときどきそんな感覚について考えます。
誰かに強く惹かれたとき、その人のことをもっと知りたくなる。
何を考えているのか知りたい。どんな世界を見ているのか知りたい。その人の言葉や価値観を、自分の中に入れたくなる。
もっと深く愛するなら、「この人とひとつになりたい」とさえ思うこともある。
私は以前、こうした感覚を「聖なる捕食」という言葉で考えてみたことがあります。
この少し奇妙な言葉が浮かんできた背景については、別のブログで、精神分析や神話、占星術などを手がかりに、もう少し詳しく書いています。
→「聖なる捕食」について考えた記事はこちら
もちろん、これは心理学などの正式な用語ではありません。
「愛する人を、自分の内側に取り込みたい」という感覚を、「食べる」という極端なイメージに重ねてみた、私自身の比喩です。
けれど、考えているうちに、別の疑問が浮かんできました。
私たちは、本当にその人から何かを受け取っているのだろうか。
あなたからもらったもの
精神分析では、人との関わりを通して、他者の言葉や価値観、イメージなどを自分の内側に取り入れていくことを、「取り込み」や「イントロジェクション」といった概念で考えてきました。
たしかに私たちは、出会った人から多くのものを受け取ります。
誰かの一言が、その後の人生を変えることもある。
大切な人の生き方を見て、自分の生き方を考え直すこともある。
その人の言葉が、いつの間にか自分自身の言葉になっていることもあります。
でも、ここで私は立ち止まります。
その人から受け取ったと思っているものは、本当にその人が私に「与えてくれた」ものなのでしょうか。
たとえば、誰かの自由な生き方に強く惹かれたとします。
「私も、こんなふうに生きたい」
そう思ったとき。
その人が、私に「自由」を与えてくれたのでしょうか。
それとも――
私の中にあった自由が、その人を見たことで初めて、自分のものとして見えてきたのでしょうか。
なぜ、あなたに惹かれたのだろう
同じ言葉を聞いても、心に残る人と、そうでもない人がいます。
同じ生き方を見ても、強く惹かれる人もいれば、何も感じない人もいる。
そう考えると、私の心を動かしたものは、相手の中だけにあったわけではないのかもしれません。
相手の中にあった何かと、私の中にあった何かが、出会った。
だから、強く惹かれる相手は、ときに自分にはないものを持っているように見えます。
大胆さ。自由さ。情熱。生命力。
自分がずっと抑えてきたものを、その人は当たり前のように生きている。
「この人みたいになりたい」
そう思う。
けれど、もしかすると、あの人そのものになりたかったわけではない。
あの人を通して、自分の中にあるものを生きてみたかった。
そんなこともあるのではないでしょうか。
その人が私を変えた。
そう思っていた出会いが、実は、
私の中にあったものを目覚めさせた出会いだった。
そんなふうに見えてくることがあります。
取り込んだのは、その人ではなかった
そう考えると、「あなたを取り込みたい」という最初の感覚も、少し違って見えてきます。
あなたのことを知りたい。
あなたの世界を知りたい。
あなたとひとつになりたい。
そうして、あなたを自分の中に入れたつもりだった。
でも、あとになって振り返ってみると、
私が取り込んだと思っていたのは、あなたではなく、あなたとの出会いによって現れた私自身だったのかもしれない。
あなたに出会ったから、初めて知った私。
あなたに触れたから、動き始めた私。
あなたがいなければ、存在していたことすら知らなかった私。
そう考えると、忘れられない出会いの意味も少し変わってきます。
その人が私の中に何かを植え付けたのではなく、
その人との出会いが、私の中にあったものを見つけるきっかけになった。
そんな出会いもあるのではないでしょうか。
他者との出会いは、自分との出会い
人との出会いには、不思議なところがあります。
誰かを知ろうとしていたはずなのに、その人との関わりを通して、自分のことを知っていく。
「私は、こんなことを感じる人だったんだ」
「本当は、こんなふうに生きたかったんだ」
「こんな自分がいるなんて知らなかった」
そんなふうに、相手を通して初めて見えてくる自分があります。
だから、誰かに強く惹かれたときには、
「なぜ、この人なのだろう」
と考えてみるのも面白いと思います。
相手の何が好きなのか。
何に心を動かされるのか。
そして、それはもしかしたら、
自分の中の何に触れているのだろう。
そう問い直してみる。
すると、相手を見ていたはずなのに、いつの間にか自分自身を見つめていることがあります。
QHHTで、自分の内側に出会う
私は、ここにQHHTとのつながりを感じています。
QHHTのセッションでは、その人自身の内側から、さまざまなイメージや感覚、言葉、体験が現れてくることがあります。
前世のような場面を見る人もいれば、象徴的な世界を体験する人もいる。
思いがけない言葉が出てきたり、これまで考えたこともなかったことに気づいたりすることもあります。
セッションをしていると、「そんなものが自分の中にあったのか」と驚かされるような瞬間に出会うことがあります。
私は、その体験を外側から決めつけて解釈することはしません。
「これはこういう意味です」と私が答えを渡すのではなく、その人自身が自分の体験に触れながら、その意味を感じ取っていくことを大切にしています。
なぜなら、私たちが必要としているものは、いつも外から与えられるとは限らないからです。
答えをもらうことではなく、
自分の中にあったものに気づくこと。
ずっとそこにあったのに、まだ知らなかった自分に出会うこと。
QHHTも、そんな時間になり得るのではないかと私は思っています。
あなたと出会う前には存在しなかった私
「あなたを取り込みたい」というところから始まった問いは、最後には少し違う場所へたどり着きました。
私は、あなたを取り込んだのだろうか。
それとも、あなたとの出会いによって、
私の中にあった何かが目を覚ましたのだろうか。
あなたは最後まであなた。
私は最後まで私。
それでも、あなたと出会ったことで、
「あなたと出会う前には存在しなかった私」
が生まれている。
そう考えると、人生の中で忘れられない誰かとの出会いも、少し違って見えてきます。
私たちが探していたのは、その人だけではなかったのかもしれない。
その人との出会いによって、初めて出会える――
自分自身だったのかもしれません。
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