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レインボーチルドレンは、何をしに地球へ来たのか

3 日前
読了時間: 8分

QHHTのセッションをしていると、ときどき「子どものことで悩んでいます」という親御さんがいらっしゃいます。


その中には、不登校のお子さんを育てている方もいます。

いじめがあるわけではない。友達がいないわけでもない。

むしろ友達はいるし、勉強が嫌いなわけでもない。

それなのに、どうしても学校という場所に馴染めない。


学校へ行こうとすると身体に症状が出たり、朝起きられなかったり。

そんな子どもたちです。


こうした子どもたちについて、スピリチュアルな世界では「レインボーチルドレン」と呼ぶことがあります。


私は、この言葉を単に「特別な才能を持った子ども」という意味では捉えていません。

既存の価値観やシステムに、どうしても違和感を持つ。

「みんなと同じように」と言われても、そこに自分を合わせることができない。

でも、それは本人が怠けているとか、社会性がないということではなく、そもそも持っている感覚が少し違うのかもしれない。

QHHTの世界では、そんなふうに捉えることがあります。


レインボーチルドレンとは

レインボーチルドレンという言葉は、インディゴチルドレンやクリスタルチルドレンなどとともに、スピリチュアルな世界で語られてきたものです。

豊かな感受性を持っていたり、創造性が高かったり、既存の価値観にあまり縛られなかったり。

一方で、学校や社会の「こうするのが普通」という枠に、うまく馴染めないこともある。

ただし、これは医学的な診断名でも、教育的な分類でもありません。

ここで私が書いているのは、あくまでもQHHTを通して私が見てきたこと、そしてスピリチュアルな世界観から感じていることです。

不登校や身体の症状について、医学的・教育的な判断をお伝えするものではありませんが、

そのうえで、私がレインボーチルドレンについて強く感じていることがあります。


それは、

この子たちは、古い地球の価値観に自分を合わせるために生まれてきたわけではないのかもしれない

ということです。


「無理に学校へ行かせなくてもいい」

QHHTのセッションでは、親御さんの質問でサブコンシャスに、

「この子は、学校に行かなくても大丈夫なのでしょうか」

と尋ねることがあります。

すると、不思議なくらい似た答えが返ってくることがあります。


「無理に行かせる必要はない」


中には、

「行かせてはいけない。この子の魂が死んでしまう」

とまで言われたケースもありました。


もちろん、私は不登校について何かを指導できる専門家ではありませんので、

学校へ行くべきなのか、行かなくてもいいのか。

そこに答えを出すために、この記事を書いているわけでもありません。


ただ、QHHTという場所でこういう親子を見てきて、私はときどき思うのです。

「この子をどうやって普通に戻すか」

という見方とは、まったく違う見方があるんじゃないか、と。


子どもは、親を選んでくる

QHHTでは、子どもは親を選んで生まれてくる、と考えます。

退行催眠の中で、生まれる前の場面を体験し、

「この人をお母さんにする」

「この家族を選ぶ」

という場面を語るクライアントさんは、実際にたくさんいます。

これから生まれる人生について誰かと相談していたり、自分がどんな経験をするのかを知ったうえで、その親や家族を選んできたと語る人もいます。


そこにあるのは、

「親が子どもを育てる」

という一方向の関係だけではありません。


親も子どもから学ぶ。

子どもも親から学ぶ。

お互いに経験することがあって、そのために出会っている。

そんな感覚です。


そう考えると、親子の間で起きることも、少し違って見えてきます。


ぶつかることも。

何度言ってもわかってもらえないことも。

親が途方に暮れるようなことも。

もしかしたら、それも含めて最初からわかっていたのかもしれない。


それでも、

「この人を選ぼう」

と。


私の姪っ子

実は、私の姪っ子も、そういう子です。

今、中学2年生。

小さい頃からとても感受性が強く、個性豊かな素晴らしい子です。

ただ親としては「育てにくい子」と、母親である、私の妹自身が感じることは少なくありませんでした。


彼女は勉強が嫌いなわけではありません。

でも、学校に行くことが難しい。

学校へ行くと、お腹が痛くなったり、体調が悪くなったりする。

朝も起きられない。

病院では、起立性調節障害と診断されています。

彼女は、絵がとても上手です。

ほかにも、彼女には突出したものがあります。


妹は、ずっと悩んできました。

親だから、当然だと思います。


このままでいいのだろうか。

将来はどうするんだろう。

学校に行けなくて大丈夫なんだろうか。

「普通に」学校へ行って、「普通に」進学して、「普通に」生きていく。

親として、そう願うのは自然なことだと思います。

でも、悩んで、葛藤して、何度も考えて。

少しずつ、

「この子にとっての普通って、なんなんだろう」

というところに、妹自身が向き合うようになっていきました。

そして今は、姪っ子がスターシード、レインボーチルドレンと呼ばれるような魂なのかもしれない、ということも含めて受け入れながら、

「この子がやりたいことを、どうしたらできるようにしてあげられるだろう」

という方向に、親子で進路を考え始めています。


私は、それを見ていて思うのです。

もしかしたら、この子は最初からそこまでわかっていて、妹を選んできたんじゃないだろうか、と。


「マミーなら、きっと大丈夫」

もちろん、これは姪っ子本人がそう言ったわけではありません。

あくまで、叔母である私が感じていることです。

この二人は、きっとこれからもぶつかると思う。

親だから心配する。

子どもだから、自分の好きなようにしたい。

また喧嘩することもあるでしょう。

でも、それも含めて。

姪っ子は、

「マミーに、心のままに生きるってどういうことなのかを見せる」

ために、この人を選んだのかもしれない。

そして、

「あたしのやりたいことをできる道を、この人なら最後には整えてくれる」

と思って、妹を選んだのかもしれない。


そんなふうに、私には感じられます。

親が子どもを育てるだけじゃない。

子どもが親の生き方を変えていくこともある。

それも、親子で交わしてきた約束のひとつなのかもしれません。


レインボーチルドレンは、地球の波動を上げるために来たの?

レインボーチルドレンについて語られるとき、

「地球の波動を上げるために来ている」

という話をよく聞きます。

それも、ひとつの見方なのだと思います。


でも、私は最近、それさえも少し違う気がしています。


「地球の波動を上げる」

「人類を変える」

「新しい時代をつくる」

「何か大きな使命を果たす」

そういう言葉を並べてしまうと、なんだか急に人間らしくなる。

そもそも、「役割」という言葉自体が、こちら側のエゴなのかもしれない。


レインボーチルドレンだから、何かをしなくてはいけない。

スターシードだから、地球に貢献しなくてはいけない。

そんなふうに、また新しい「ねばならない」を背負わせてしまったら、ちょっと違う気がするのです。


私には、彼らの魂はもっと単純なんじゃないかと思います。


ただ、楽しみたい。

この地球を体験したい。

好きなことをしたい。

心が動くほうへ行きたい。

やってみたいことを、やってみたい。

それだけなのかもしれない。


地球のためでもなく。

人類のためでもなく。

誰かを救うためでもなく。

ただ、自分の心のままに、この地球を遊びに来た。

そんな感じです。


使命ではなく、心のままに

もしそうだとしたら、面白いなと思います。

彼らが何か特別なことをしなくても、

好きな絵を描いて、

好きなことをして、

嫌なものを嫌だと言って、

自分が心地いいほうへ進んでいく。

ただそれだけで、周りの大人のほうが変わっていく。


「もっと自分も好きなように生きていいんじゃないか」

「本当は私も、あれがやりたかった」

「ちゃんとしなきゃ、と思いすぎていたのかもしれない」

そんなことを思い出していく。


地球の波動を上げようとしなくても、自分らしく生きているだけで、周りが変わってしまう。


それなら、別に「役割」なんていらない。

使命もいらない。

ただ、心のままに生きればいい。

もしかしたら、それを思い出すために、彼らはここへ来たのかもしれません。


そして、そんな子どもを育てることになった親もまた、その子を通して、自分自身の魂の声を思い出していく。

子どもが親を選ぶ。

その子を迎えた親もまた、その子との人生を選んでいる。

そう考えると、親子って、不思議です。


レインボーチルドレンは、何か大きなことを成し遂げるために来たのではなく、

ただ、自分の魂のままに生きるために来た。

そして、その姿を見せてもらった私たち大人が、

「そうだった。

私も、本当はそうだった」

と、少しずつ思い出していく。

私は、そんなふうに感じています。


QHHTについて

QHHTでは、普段の意識では見ることのできない、自分自身の深い部分へ意識を向けていきます。

人生についての問いや、繰り返し気になっていること。

そして、自分は何を経験するために、この人生を選んだのか。

その答えを誰かから教えてもらうのではなく、自分自身の内側から受け取っていく。

子どものことを知りたいと思っていたはずなのに、気づけば自分自身のことを知ることになっていた。

そんなことも、あるのかもしれません。

QHHTセッションについては、こちらをご覧ください。


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