ごっこ遊びと催眠|子どもの頃の想像力が、QHHTの入り口になる
『トイ・ストーリー5』を観てきました。
今回の作品では、子どもたちとデバイスとの関係がひとつのテーマとして描かれています。
画面に夢中になっている子どもたちを観ながら、
「ああ、今の子どもたちにとっては、こういう世界なんだな」
と思っていました。
そして、映画を観終わったあと。
なぜか私は、QHHTのセッションで催眠に入っていくときのことを考えていたんです。
「催眠って、ごっこ遊びにちょっと似ているな」
と。
子どもの頃は、何もないところに世界をつくっていた
子どもの頃、おままごとや戦いごっこをしたことはありませんか?
おままごとなら、
「ここが台所ね」
と言って、何もないところにまな板を置く。
包丁を置く。
お鍋を置く。
そして、見えない料理を作る。
「はい、ごはんできたよ」
と、何も入っていないお皿を差し出す。
戦いごっこなら、そこには架空の敵がいる。
見えない武器を手にして、本気で逃げたり、戦ったりする。
もちろん、大人から見れば、そこには何もありません。
でも、子どもにとっては、ちゃんとそこにある。
正確には、「あることにして」遊んでいるんですよね。
最初は自分たちで設定をつくっている。
ところが遊びに夢中になってくると、いつの間にか、その世界の中に入り込んでいる。
今思うと、あれって、とても不思議なことです。
催眠も、最初は「想像」でいい
QHHTのセッションで催眠に入っていくとき、私はクライアントさんに、子どもの頃のごっこ遊びの話をすることがあります。
催眠というと、
「何もしなくても、誰かにかけてもらうもの」
というイメージを持っている方もいるかもしれません。
でも、私はむしろ、自分から入りにいくことが大切だと思っています。
最初は、私が語る物語を聞きながら、その場面を自由に想像してもらいます。
どんな場所なのか。
何が見えるのか。
どんな空気なのか。
音はするのか。
そこに自分がいるとしたら、どんな感じなのか。
そうやって、自分の中で少しずつ世界をつくっていく。
このとき、
「でも、これって自分が想像しているだけですよね?」
と思っても、まったく問題ありません。
むしろ、最初はそれでいいんです。
「想像だけど、ちょっと乗っかってみよう」
くらいでいい。
子どものごっこ遊びと、よく似ています。
「自分でつくっている」から始まっていい
たとえば、
「ここに道があることにしてみよう」
と想像する。
その道を歩いているつもりになってみる。
その先に何があるのか、少し待ってみる。
すると、最初は自分でつくっていたはずのイメージが、だんだん自分の予想から外れていくことがあります。
思ってもいなかったものが出てきたり。
自分では選んでいない場所にいたり。
さっき出てきたものが、あとになって別の意味を持ってきたり。
「あれは、こういうことだったのか」
と、後から話がつながってくることもあります。
最初は自分でつくっている。
それでいい。
そのうち、自分でつくっているのか、どこからかやってきたものなのか、その境目が少し曖昧になってくる。
私は、そこが催眠の面白いところだと思っています。
ごっこ遊びは、どこから始まるのだろう
子どものごっこ遊びも、最初から完璧な世界があるわけではありません。
「今日はお母さんね」
「じゃあ、私は赤ちゃん」
「ここ、病院にしよう」
そんな一言から始まって、遊んでいるうちに、どんどん話が膨らんでいく。
最初は自分たちでつくっていたはずなのに、いつの間にか、その世界のほうに引き込まれていく。
私は、この感覚が催眠に入っていくときと、少し似ていると思っています。
最初は「自分でつくっている」でいい。
そこから先は、自分が全部を決めなくてもいい。
何が出てくるのかを、少し待ってみる。
すると、自分で考えていた物語とは違う方向へ進んでいくことがある。
その「自分でつくっているのか、どこからかやってきたものなのか、よくわからない」というところが、私は催眠の面白さのひとつだと思っています。
「見せてもらう」のではなく、自分で世界をつくる
『トイ・ストーリー5』を観ながら、そんなことを考えていました。
デバイスは、こちらが想像しなくても世界を見せてくれます。
面白いものも、きれいなものも、刺激的なものも、次から次へとやってくる。
一方で、ごっこ遊びには何もない。
何もないところに、自分で世界をつくる。
子どもの頃は、そんなことを当たり前のようにやっていたんですよね。
大人になると、
「それは想像でしょう」
と、すぐに現実へ戻してしまう。
もちろん、現実と想像を区別することは大切です。
でも、想像する力まで手放す必要はないんですよね。
QHHTの催眠は、特別な能力ではない
QHHTの催眠で、私が面白いなと思うのは、「それは自分の想像でしょう」というところから始めてもいいことです。
最初は自分でつくっている。
それでいい。
鮮明な映像が見えなくてもいい。
「何も見えない」と思ったら、
「じゃあ、あることにしてみよう」
くらいでいい。
子どもの頃、何もないところにまな板や包丁を置いていたように。
架空の敵を、本気で追いかけていたように。
そうやって少しずつ、その世界に入っていく。
すると、自分でも予想していなかったものが浮かんできたり、思いがけないストーリーが展開していったりすることがあります。
QHHTの催眠は、何か特別な能力を身につけることではなく、もしかしたら、子どもの頃には自然にやっていたことを、もう一度思い出していく時間なのかもしれません。
映画館を出てから、そんなことを考えていました。
そういえば、子どもの頃の私は、何もないところにちゃんと包丁を置いていたな、と。
もちろん、本物の包丁じゃないですよ。
でも、ちゃんとそこにあったんです。


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