top of page

ごっこ遊びと催眠|子どもの頃の想像力が、QHHTの入り口になる

8月21日
読了時間: 5分

『トイ・ストーリー5』を観てきました。


今回の作品では、子どもたちとデバイスとの関係がひとつのテーマとして描かれています。

画面に夢中になっている子どもたちを観ながら、

「ああ、今の子どもたちにとっては、こういう世界なんだな」

と思っていました。


そして、映画を観終わったあと。

なぜか私は、QHHTのセッションで催眠に入っていくときのことを考えていたんです。

「催眠って、ごっこ遊びにちょっと似ているな」

と。


子どもの頃は、何もないところに世界をつくっていた

子どもの頃、おままごとや戦いごっこをしたことはありませんか?

おままごとなら、

「ここが台所ね」

と言って、何もないところにまな板を置く。

包丁を置く。

お鍋を置く。

そして、見えない料理を作る。

「はい、ごはんできたよ」

と、何も入っていないお皿を差し出す。

戦いごっこなら、そこには架空の敵がいる。

見えない武器を手にして、本気で逃げたり、戦ったりする。


もちろん、大人から見れば、そこには何もありません。

でも、子どもにとっては、ちゃんとそこにある。


正確には、「あることにして」遊んでいるんですよね。

最初は自分たちで設定をつくっている。

ところが遊びに夢中になってくると、いつの間にか、その世界の中に入り込んでいる。

今思うと、あれって、とても不思議なことです。


催眠も、最初は「想像」でいい

QHHTのセッションで催眠に入っていくとき、私はクライアントさんに、子どもの頃のごっこ遊びの話をすることがあります。


催眠というと、

「何もしなくても、誰かにかけてもらうもの」

というイメージを持っている方もいるかもしれません。

でも、私はむしろ、自分から入りにいくことが大切だと思っています。


最初は、私が語る物語を聞きながら、その場面を自由に想像してもらいます。

どんな場所なのか。

何が見えるのか。

どんな空気なのか。

音はするのか。

そこに自分がいるとしたら、どんな感じなのか。

そうやって、自分の中で少しずつ世界をつくっていく。

このとき、

「でも、これって自分が想像しているだけですよね?」

と思っても、まったく問題ありません。

むしろ、最初はそれでいいんです。

「想像だけど、ちょっと乗っかってみよう」

くらいでいい。

子どものごっこ遊びと、よく似ています。


「自分でつくっている」から始まっていい

たとえば、

「ここに道があることにしてみよう」

と想像する。

その道を歩いているつもりになってみる。

その先に何があるのか、少し待ってみる。

すると、最初は自分でつくっていたはずのイメージが、だんだん自分の予想から外れていくことがあります。

思ってもいなかったものが出てきたり。

自分では選んでいない場所にいたり。

さっき出てきたものが、あとになって別の意味を持ってきたり。

「あれは、こういうことだったのか」

と、後から話がつながってくることもあります。

最初は自分でつくっている。

それでいい。

そのうち、自分でつくっているのか、どこからかやってきたものなのか、その境目が少し曖昧になってくる。

私は、そこが催眠の面白いところだと思っています。


ごっこ遊びは、どこから始まるのだろう

子どものごっこ遊びも、最初から完璧な世界があるわけではありません。

「今日はお母さんね」

「じゃあ、私は赤ちゃん」

「ここ、病院にしよう」

そんな一言から始まって、遊んでいるうちに、どんどん話が膨らんでいく。

最初は自分たちでつくっていたはずなのに、いつの間にか、その世界のほうに引き込まれていく。


私は、この感覚が催眠に入っていくときと、少し似ていると思っています。


最初は「自分でつくっている」でいい。

そこから先は、自分が全部を決めなくてもいい。

何が出てくるのかを、少し待ってみる。

すると、自分で考えていた物語とは違う方向へ進んでいくことがある。

その「自分でつくっているのか、どこからかやってきたものなのか、よくわからない」というところが、私は催眠の面白さのひとつだと思っています。


「見せてもらう」のではなく、自分で世界をつくる

『トイ・ストーリー5』を観ながら、そんなことを考えていました。

デバイスは、こちらが想像しなくても世界を見せてくれます。

面白いものも、きれいなものも、刺激的なものも、次から次へとやってくる。


一方で、ごっこ遊びには何もない。

何もないところに、自分で世界をつくる。

子どもの頃は、そんなことを当たり前のようにやっていたんですよね。

大人になると、

「それは想像でしょう」

と、すぐに現実へ戻してしまう。


もちろん、現実と想像を区別することは大切です。

でも、想像する力まで手放す必要はないんですよね。


QHHTの催眠は、特別な能力ではない

QHHTの催眠で、私が面白いなと思うのは、「それは自分の想像でしょう」というところから始めてもいいことです。

最初は自分でつくっている。

それでいい。

鮮明な映像が見えなくてもいい。

「何も見えない」と思ったら、

「じゃあ、あることにしてみよう」

くらいでいい。

子どもの頃、何もないところにまな板や包丁を置いていたように。

架空の敵を、本気で追いかけていたように。

そうやって少しずつ、その世界に入っていく。


すると、自分でも予想していなかったものが浮かんできたり、思いがけないストーリーが展開していったりすることがあります。


QHHTの催眠は、何か特別な能力を身につけることではなく、もしかしたら、子どもの頃には自然にやっていたことを、もう一度思い出していく時間なのかもしれません。

映画館を出てから、そんなことを考えていました。

そういえば、子どもの頃の私は、何もないところにちゃんと包丁を置いていたな、と。

もちろん、本物の包丁じゃないですよ。

でも、ちゃんとそこにあったんです。



コメント


bottom of page